逆に考えるんだ。一体何がライトノベルだと認識されているのか、アンケートを取るんだ。

さてさて、このところラノベ系サイト界隈の一部で定義論が再燃しているようです。(まとめるほどの時間ないので、興味ある方はそもそも有川浩って誰が読んでいるんだろう?あたりを参照してください。)
私自身は定義を組み立てる気がないので、定義論そのものに参戦するつもりはありません。
こちらの方には怒られそうですが、私は別にライトノベルの権威を高めようとか取り巻く世界をよくしようとかいう意欲に燃えてはいないので、「○○なんて人それぞれ」上等です)
ただ、多数派は「どういうものをライトノベルと思っているか?」には興味があります。

そういうことなら簡単です。アンケートを取ってみればいい。
アンケートって取る場所によって、どうしても意見が偏向してしまいますが、それでもある程度の数の回答を得ることが出来れば、どこまでが共通認識でどこからが認識の別れる部分なのか見えてくる……んじゃないかなたぶん。
変ラノが終了して一段落したら、アンケートを実施したいですね。できるといいなあ。

■追記
id:trivialさんのおっしゃるように数が増えても偏向はどこまで行っても偏向ですね確かに。あいすみませぬ。
しかしまあ回答数を集めれば説得力は増すかな?と思っているところに、はてブコメントで「比率をとるのではなく加算方式でやったら」とのご意見が。
なるほど、それはいいかもしれません。真面目に検討してみます。

ひたすら実用的か趣味に走るか。スタイルは数あれど特化してみたらいかが?

感想サイトが流行らない理由

今月から書評を始めた。一日一冊ペースでラノベを紹介したが、記事を書く手間も意外と大きく、結構時間が掛かる。だがアフィ的には、紹介した書籍は全然売れてない。

各所で既に指摘されてるようですが……。
もし、アフィで稼ぎたいなら悪いことは言いません。ラノベ以外のものを売りましょう。
もっと単価の高いもので勝負するべき。
また、どんな素晴らしい感想を書いたところで、以下の条件を満たしていないとアフィに繋げるのは難しいでしょう。

■未読者への配慮■
既読者にどれだけ作品の素晴らしさを訴えたところで、アフィ的には意味がありません。やるならば未読者を買う気にさせるような内容にしないと。
つまり未読者が読みたくなるような感想を書くことが必要になります。
もしくはその本の感想で完結させず、別の作品に(きちんと)言及することで購買確率を引き上げるか。
■旬■
発売直後の作品を真っ先に紹介するのは基本。要はまだ買っていない段階で訴えかけます。
もしくは最近人気が上がっては来ているけれど、まだ知名度はいまひとつ、みたいな作品を紹介するとか。アンテナが高くないと難しいですが……。

感想サイトを流行らせたいと思ったときに、文章力より営業力というか、実は記事の良さ・面白さはあんまり関係なくて、読者の需要の大きさが重要なのかもしれない。1万部と100万部の作品では、既知の読者の分母数が違い過ぎる。それと、潜在的な読者が多いだけではなくて、ニュースサイトなどで実際の読者を連れて来てくれるか、というのは更に重要になる。

■地道さが基本■
ニュースサイトのアクセスはしょせんバブリーな一過性のものに過ぎないと自分は思ってます。
本気で感想を読んでもらいたいなら、地道に良質な感想を積み上げて巡回客を増やした方がいいです。
例えばうちの本家サイトライトノベル系サイトとしてまともに稼働しだしたのは2001年あたりで、それなりに広く認知されるようになったのは2004年のこのライトノベルがすごい!以降だと思いますが、サイトを立ち上げたのは1998年です。
……つまりはそういうことです。1ヶ月で結果を求められてもなあ……と苦笑い。
ブログはアクセス数をあっという間に増やすのが楽な仕組みなので、結果を早急に求めたくなるんですかね?

■需要は掘り起こせます■
本気で何かを推したいなら、一度や二度の記事でどうにかなるなどとは思ってはいけません。
手前味噌な話になりますが、昔マリみてに超ハマった時に、認知度を少しでも上げようと思ってマリア様がみてる強化月間コラムと銘打って、通常の更新内容に加えて、延々一ヶ月間マリみて絡みのコンテンツを展開したことがあります。(懐かしすぎて目から汗が出てきた……)
実際、これがきっかけでマリみてを読んだという人が何人もいました。
このケースの場合、マリみて少女小説なので作品に触れる機会がなかった人を無理矢理(笑)引きずり込んだわけです。
潜在的な需要はあるでしょうが、直接的なきっかけを記事とするのは十分可能です。
まあ文章力が必要か?と言われたら「別にいらないんじゃない?」と答えておきます。手間暇はかけないといけませんが。                                                                                                                                
■武器はあるか?■
あとですね、ちゃんと差別化できているか?という問題があります。
一通り先ほどの萌え理論Magazineで感想を見せていただいたんですが、きれいにまとまってはいます。しかし「このサイトならでは!」というものは感じませんでした。
特徴がないと、他の多数のサイトに埋もれてしまいます。(なお、ガガガ文庫にこだわって感想を書かれているというその姿勢そのものは悪くないと思いますが、需要がどの程度あるか
例えば、いつも感想中などはしっかりと「ここでしか読めない感想」を作り上げてます。
そういうものがないと、なかなか巡回者は増えません。
他のサイトには真似できない、武器を何か一つ作って、特徴づけるといいのでは。

あくまで内容勝負という場合は、それこそ地味な更新をひたすら続けるしかないですね。
少なくとも半年、できれば1年は地道にひたすら良質な感想を積み上げるしかありません。


■まー結局は■
感想サイトでアクセス数はそもそも期待しない方がいいんじゃないですかねえ。
アクセスとかアフィ目的で運営するなら、もっと別の形式を選択した方がいいです。

拝啓、ガガガ文庫様。私は直球な物語を待っています。

ガガガ文庫が創刊されて数ヶ月。既刊全てはさすがに無理ですが、新人作品を中心にそれなりの数は読了してきました。
で、その印象を一言で言いますと……

ガガガ文庫には、普通に物語を進めてはいけないという鉄の掟でもあるのか!?』

いやー……。ベテラン作家さんについては別として、新人さんの作品に顕著なのですが、序盤は普通の学園ものっぽい出だしだったりするのに、終わってみると「すいません序盤のノリはどこに行きました?」と首をかしげたくなるぐらい、途中で方向性が激変します。
物語そのものに対する評価は人によって違うので、ここでは触れませんが、狙い澄ましたかのようにカオスな展開になってしまうことは共通しています。

や、変化球もたまにはいいですよ? でも基本はやはり直球。
たとえば「勇者が悪い魔法使いを倒して世界を救う」みたいな使い古された展開がありますが、それでもやっぱり一番多くの人に読まれるのはこういう基本に忠実な物語です。
ベタ、王道、ドンと来いですよ!
私のような数を読みすぎているライトノベル読みは、どうしても風変わりな作品を偏愛する傾向がありますが、それも王道作品あってこそ。

変化球ばかり投げているとそのうちヒジ壊します。
私は、いつの日かガガガ文庫で直球な物語が読める日を楽しみにしています。

素朴な驚き

先日、気分転換で日記を書いてみたら思わぬ反応の多さにびっくりしたわけですが、先日のライトノベルの文体に関する記事へのはてブのコメントでびっくりしたこと。
felix2007さんのコメントが

いや、ライトノベルにとって文体はとくに重要ですよ。村上春樹なんて、文体(口調)の魅力だけじゃん。

となっていた。
村上春樹は数冊は読んでいるので言わんとすることは納得できるのです。が。


これってつまり村上春樹の書く小説もライトノベルと判断されているわけですよね。
うーむ。なるほど……。村上春樹の小説もライトノベルと分類されているとは完全に想定の範囲外でした。


こりゃ、世の中のライトノベル談義が噛み合わないのは無理ないかも。
前提となる「ライトノベル」が、あまりにも各々によって認識が違いすぎてます。
定義論を再燃させようとは思わないけど、この種の論議をはじめる時にはまず、議論の場における「ライトノベル」について共通見解を出しておかないと話が永遠にすれ違うんじゃないだろうか。

追記

うわ! 気分転換に書いたものがこうも注目されるとは(汗
後から自分で読み返してみて、上は「こりゃ誤解を受ける文章かな?」と感じたので少し補足。


つまりライトノベルに求められるのは
●わかりやすい文章
なんですよね。芸術家よりも職人の技。いろいろ凝った表現もいいけれど、読みにくくなってしまっては意味がないということです。
もっと凝った表現などを使えるけれどもあえて使わずにわかりやすい表現に留める、とかそんな感じ。

誤解のないよう言っておきますが、私自身は凝った表現とか、わかりにくいけど味のある文章も好きです。
例えばデビュー当初から執拗に押してる「あの人」とか。あの人の場合は、あまりわかりやすい文章になりすぎると個性も一緒に死ぬんじゃないかとよけいな心配をしてみたり。

ライトノベル作家の文体

この種の意見に当たったのはなにも今日が初めてではないけれど。

ポスト〈セカイ系〉としての『ギートステイト』と、ライトノベル作家の文体についての疑問(改訂版)

それと、すべてがそうだというつもりはありませんが、評判をたよりに私が手に取る数少ないライトノベル出身作家の書く文章の中には、ある種の業務文書風というか、「キャラクターを描写するために選ばれた制度言語」みたいなものに感じてしまうものがあります。ハイファンタジーに一家言のある人が数人注目していたので買ってみた『狼と香辛料』も、文章それ自体は、ありきたりの味気ないものでした。もうちょっと文章にクセがあってもよさそうなものですが。

うーん、ライトノベルの読み方なんて個人の自由。つまり文章に重きをおいても勝手というものなのですが……
ぶっちゃけ文章に酔いたいなら、ライトノベルに時間割く必要はないというかむしろ期待しても不幸になるだけでしょうね。
だって、多数派の読者は流麗な文章など別に求めているわけじゃないですから。
むしろ、読みにくくなるので過剰な文章表現は邪魔者扱いされる可能性があります。
そもそも需要が少ないのだから、供給だってそれに合わせたものになるのは道理。


特に作品を特定はしませんが、需要の問題もあってライトノベルはキャラクター描写と物語に重点が置かれています。
もちろん魅せる文章を書く作家さんだって大勢いるわけですが、そういう方は大抵境界型作家と呼ばれる存在にシフトしていきます。
また、好んでライトノベルを読む層(例えば私がそうです)は、華麗な文章が嫌いなわけではないですが、キャラクターや物語の評価に重きを置いていて、文章については2番目3番目以下になる傾向があります。

つまり何が言いたいかというと……

ラノベはつまみ食い程度にすぎない方は、人の感想を参考に購入本を決める際に「文章についてはどのように評価されているか」をチェックした方がいいかもよ?


※予想外に記事が注目を集めてしまったので、http://d.hatena.ne.jp/tonbo/20070714/p2に追記しました。